Exhibition|第12期 Full Scale Model: #Yurakucho
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大倉佑亮のキュレーションによる、「絶景の瞬間」展(The 5th Floor 2021年)を皮切りに、「森石川山水図」展(空蓮房 2022年)にて、キュレーター・大倉佑亮、書家・森 ナナ、写真家・石川竜一の三者によるコラボレーション・ワークを発表。ソノアイダでのレジデンス・プログラムでは、今回新たに結成されたアート・コレクティブ「三」として、滞在制作の成果を発表する。
概要
展示期間:10月7日( 土)〜10月15日(日)13:00〜20:00
クロージングトークイベント::10月15日(日)16:00〜17:30(モデレーション:丹原健翔)
会場:ソノ アイダ#新有楽町
住所:東京都千代田区有楽町 1-12-1 新有楽町ビル1階 北側112区画
主催:株式会社アトム(A-TOM Co., LTD.)
協力:三菱地所 / ソノ アイダ実行委員会 / 赤々舎 / 瞬間社 / 絶景社
ソノアイダ#新有楽町 での「Artists' Studio」プログラム第12期では、9月半ばから約1ヶ月、有楽町という都心の中で、地方(東京以外)を活動拠点とする、2名の作家(森 ナナ、石川竜一)+1名のキュレーター(大倉佑亮)による滞在制作を行ってきました。2021年より、この3名(書家・森 ナナ、写真家・石川竜一、キュレーター・大倉佑亮)は、様々な方法で共同制作や展覧会を試みてきました。 第12期では、この滞在中に新たに結成されたアート・コレクティブ「三」として、成果展「Full Scale Model #Yurakucho」を行います。2名の作家と1名のキュレーターによる場所への介入が、再開発されゆく有楽町、都市の無意識をFull Scale Model(=原寸モデル)で写し出します。 10月31日に閉館する新有楽町ビルと共に、本展にぜひ足をお運びください。
すでに多くのテナントが移転、あるいはその最中で、引越し作業が連日行われている。
耐震、免震などの観点から、ビルは建て替えられ、有楽町エリア全体も近い将来再開発されるという。
ソノアイダを訪れる大半の方がこの事実を知らなかったため、このことをまず記しておきたい。
——
書家の家庭に生まれ、書の可能性を追及する森は、新有楽町ビルの中、ビル周辺で見つけたモノを拓本にとった。森によると、「無くなってしまう新有楽町ビルのファサードの巨大な拓本をとる」という滞在制作に入る前に構想したプランから本作は生まれた。取り壊しによって無くなってしまうのは、ビル内外に佇むモノなのだ。
そもそも森は高校生の頃、親戚一同が集まる曽祖母の家の拓本をとった経験がある。家が取り壊される前に、誰かの思い入れがあるものを原寸大の拓本として残す構想が以前からあったのだ。
森によると、できるだけ丁寧に写しとることで、そのモノがある存在感をもって紙上に表れるという。たとえば、新有楽町ビルのエレベーターの操作パネルの拓本には、運転中、ボタン上に表記されるフロア数は写しとることはできず、その横に存在する点字ははっきり写しとられている。普段あまり意識することのない、点字を必要とする人々と紙上で出会ったように感じたという。
シリーズ「Ink Printing」《Yurakucho》は、拓本の作品群が壁一面に広がる。有楽町/都市の風景に潜む、私たちが無意識に見ているモノの存在を意識させ、日常の視覚的認識に介入してくるのではないだろうか。
——
ポートレート撮影を自身のライフワークにする石川は、JR有楽町駅の高架下に座り込む2人のホームレスに関心を寄せ、その男らをモデルに肖像画を描いた。《片髭の男》は、石川の約1ヶ月の制作過程を立体的に見せるインスタレーション作品である。
制作途中、石川はそのホームレスの男を直接見て描くのか、見ないで描くのかを迷っていた。ポートレート撮影と違い、モデルがいなくても、肖像画は描くことができてしまうからだ。
迷った挙句、ホームレスの男にソノアイダに来てもらい、その人を見て描くことも、資料用に撮影したポートレート写真を参考に描くことも、鏡を使い自らの顔を参考にしたりもすることに結果的になった。
描きたい対象と描く主体である自分との対象関係が明確にできないまま描き続け、石川が建てた小屋(最初は塗装部屋だった)は、疲れ果てた石川の就寝場所(=一時的なホーム)へと変わっていった。
作品におけるこの小屋の存在は、自身の家(=沖縄/写真)を離れ、いつもと異なる場所(=東京/絵画)に身を置く、石川の原寸大の〈ホーム・レス〉的状況を思わせる。
本作《片髭の男》を見た者は、それが一体誰なのか考えざるを得ない。石川がモデルとした男らを私たちが「ホームレス」という社会的存在として、普段認識するのとは別の仕方がここにはあるのではないだろうか。
——
2人の作家の異なるアプローチは、スローガン的に意識される都市の姿には表れない、私たちの無意識的領域を原寸大にモデル(Full Scale Model)化する点において共通するのではないだろうか。
2023年10月にありえた、再開発されゆく都市の一つの原寸大モデルケースとして、本展示を楽しんでいただけたら幸いである。
彼は誰なのか。
幼い頃、通っていた小学校の周辺で彷徨き、不審者だと通報された男。
zkの写真の中で秋の原宿駅前を歩いていた男。
有楽町駅のガード下に座り込んでいた2人の男。
それを描く僕自身。
曖昧な記憶、拮抗する線、重なる存在。
——
写真に写った対象が自己を承認するように、写真も写された瞬間から、そのものであることを主張する。絵もひとつの点が打たれた瞬間から、そのものであることを主張する。その点が線を描き、面となっていくなかで、描かれる対象と描くものの身体や無意識との対話を通して、描かれていくそのものは、他ならぬ彼自身であり、ひとつの存在なのだと知らされる。
そこには当然、人のような意識があるなどということは想像しにくいが、そのものとしての意思のようなものは感じられてしまうのは、それが人物を模した図像だからということだけではないのではないだろうか。
また、最後まで描き上げられたものだけが、存在感を発するわけではない。その過程で描かれたデッサンや習作もまた、そこに形式的な違いはあっても差はなく、別のものとして同時に存在することができる。
しかしそれは、どこからともなく現れたものではなく、実在するもの同士の混交と拮抗によって生(う、をカット)まれたものであり、それぞれが自身にとっては具体的な存在であり、互いにとっては、抽象的な存在であることを意味する。
関わる対象にしても、メディアにしても、ひとつのものと向き合うことと、いくつかの関係しあうものと向き合うことは、方法としては違っても、態度としては同等なことなのではないだろうか。
「三」(大倉佑亮、森 ナナ、石川竜一)

大倉佑亮のキュレーションによる、「絶景の瞬間」展(The 5th Floor 2021年)を皮切りに、「森石川山水図」展(空蓮房 2022年)にて、キュレーター・大倉佑亮、書家・森 ナナ、写真家・石川竜一の三者によるコラボレーション・ワークを発表。ソノアイダでのレジデンス・プログラムでは、今回新たに結成されたアート・コレクティブ「三」として、滞在制作の成果を発表する。
概要
展示期間:10月7日( 土)〜10月15日(日)13:00〜20:00
クロージングトークイベント::10月15日(日)16:00〜17:30(モデレーション:丹原健翔)
会場:ソノ アイダ#新有楽町
住所:東京都千代田区有楽町 1-12-1 新有楽町ビル1階 北側112区画
主催:株式会社アトム(A-TOM Co., LTD.)
協力:三菱地所 / ソノ アイダ実行委員会 / 赤々舎 / 瞬間社 / 絶景社
機材協力:BLACK+DECKER / DEWALT / LENOX / IRWIN
ソノアイダ#新有楽町 での「Artists' Studio」プログラム第12期では、9月半ばから約1ヶ月、有楽町という都心の中で、地方(東京以外)を活動拠点とする、2名の作家(森 ナナ、石川竜一)+1名のキュレーター(大倉佑亮)による滞在制作を行ってきました。2021年より、この3名(書家・森 ナナ、写真家・石川竜一、キュレーター・大倉佑亮)は、様々な方法で共同制作や展覧会を試みてきました。 第12期では、この滞在中に新たに結成されたアート・コレクティブ「三」として、成果展「Full Scale Model #Yurakucho」を行います。2名の作家と1名のキュレーターによる場所への介入が、再開発されゆく有楽町、都市の無意識をFull Scale Model(=原寸モデル)で写し出します。 10月31日に閉館する新有楽町ビルと共に、本展にぜひ足をお運びください。
展覧会名:Full Scale Model: #Yurakucho
新有楽町ビルが、間も無くその歴史に幕を下ろす。すでに多くのテナントが移転、あるいはその最中で、引越し作業が連日行われている。
耐震、免震などの観点から、ビルは建て替えられ、有楽町エリア全体も近い将来再開発されるという。
ソノアイダを訪れる大半の方がこの事実を知らなかったため、このことをまず記しておきたい。
——
書家の家庭に生まれ、書の可能性を追及する森は、新有楽町ビルの中、ビル周辺で見つけたモノを拓本にとった。森によると、「無くなってしまう新有楽町ビルのファサードの巨大な拓本をとる」という滞在制作に入る前に構想したプランから本作は生まれた。取り壊しによって無くなってしまうのは、ビル内外に佇むモノなのだ。
そもそも森は高校生の頃、親戚一同が集まる曽祖母の家の拓本をとった経験がある。家が取り壊される前に、誰かの思い入れがあるものを原寸大の拓本として残す構想が以前からあったのだ。
森によると、できるだけ丁寧に写しとることで、そのモノがある存在感をもって紙上に表れるという。たとえば、新有楽町ビルのエレベーターの操作パネルの拓本には、運転中、ボタン上に表記されるフロア数は写しとることはできず、その横に存在する点字ははっきり写しとられている。普段あまり意識することのない、点字を必要とする人々と紙上で出会ったように感じたという。
シリーズ「Ink Printing」《Yurakucho》は、拓本の作品群が壁一面に広がる。有楽町/都市の風景に潜む、私たちが無意識に見ているモノの存在を意識させ、日常の視覚的認識に介入してくるのではないだろうか。
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ポートレート撮影を自身のライフワークにする石川は、JR有楽町駅の高架下に座り込む2人のホームレスに関心を寄せ、その男らをモデルに肖像画を描いた。《片髭の男》は、石川の約1ヶ月の制作過程を立体的に見せるインスタレーション作品である。
制作途中、石川はそのホームレスの男を直接見て描くのか、見ないで描くのかを迷っていた。ポートレート撮影と違い、モデルがいなくても、肖像画は描くことができてしまうからだ。
迷った挙句、ホームレスの男にソノアイダに来てもらい、その人を見て描くことも、資料用に撮影したポートレート写真を参考に描くことも、鏡を使い自らの顔を参考にしたりもすることに結果的になった。
描きたい対象と描く主体である自分との対象関係が明確にできないまま描き続け、石川が建てた小屋(最初は塗装部屋だった)は、疲れ果てた石川の就寝場所(=一時的なホーム)へと変わっていった。
作品におけるこの小屋の存在は、自身の家(=沖縄/写真)を離れ、いつもと異なる場所(=東京/絵画)に身を置く、石川の原寸大の〈ホーム・レス〉的状況を思わせる。
本作《片髭の男》を見た者は、それが一体誰なのか考えざるを得ない。石川がモデルとした男らを私たちが「ホームレス」という社会的存在として、普段認識するのとは別の仕方がここにはあるのではないだろうか。
——
2人の作家の異なるアプローチは、スローガン的に意識される都市の姿には表れない、私たちの無意識的領域を原寸大にモデル(Full Scale Model)化する点において共通するのではないだろうか。
2023年10月にありえた、再開発されゆく都市の一つの原寸大モデルケースとして、本展示を楽しんでいただけたら幸いである。
大倉佑亮(三としての活動において)
片髭の男
彼は誰なのか。
幼い頃、通っていた小学校の周辺で彷徨き、不審者だと通報された男。
zkの写真の中で秋の原宿駅前を歩いていた男。
有楽町駅のガード下に座り込んでいた2人の男。
それを描く僕自身。
曖昧な記憶、拮抗する線、重なる存在。
——
写真に写った対象が自己を承認するように、写真も写された瞬間から、そのものであることを主張する。絵もひとつの点が打たれた瞬間から、そのものであることを主張する。その点が線を描き、面となっていくなかで、描かれる対象と描くものの身体や無意識との対話を通して、描かれていくそのものは、他ならぬ彼自身であり、ひとつの存在なのだと知らされる。
そこには当然、人のような意識があるなどということは想像しにくいが、そのものとしての意思のようなものは感じられてしまうのは、それが人物を模した図像だからということだけではないのではないだろうか。
また、最後まで描き上げられたものだけが、存在感を発するわけではない。その過程で描かれたデッサンや習作もまた、そこに形式的な違いはあっても差はなく、別のものとして同時に存在することができる。
しかしそれは、どこからともなく現れたものではなく、実在するもの同士の混交と拮抗によって生(う、をカット)まれたものであり、それぞれが自身にとっては具体的な存在であり、互いにとっては、抽象的な存在であることを意味する。
関わる対象にしても、メディアにしても、ひとつのものと向き合うことと、いくつかの関係しあうものと向き合うことは、方法としては違っても、態度としては同等なことなのではないだろうか。
石川 竜一
京都、福岡、沖縄という異なる場所を拠点にしながら、コレクティブ・ワークとしては、ある有限性の中で共同生活=住むことを通し、食事、身体、性、家族、労働、倫理など、それぞれが生活の中で「当たり前」と判断してしまう価値基準を3人で議論し、包括的に検討しながら、個別の生活/制作=ライフ/ワークが、共同性を帯びる時空間を模索する。過去の3人でトーク記録はコチラ
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Instagram
石川 竜一
1984年沖縄県生まれ、沖縄国際大学社会文化学科 卒業。
在学中に写真と出会う。 2014年に沖縄の人々や身近な環境で撮影したスナップを纏めた『okinawan portraits 2010-2012』『絶景のポリフォニー』を発表し、木村伊兵衛賞、日本写真協会新人賞、沖縄タイムス芸術選奨奨励賞を受賞。日常のスナップやポートレイトを中心に現代の矛盾と混沌に向き合いつつも、そこから光を探るような作品を発表し、活動の場を日本国内外に広げ、その内容もビデオ作品や他ジャンルのアーティストとの共作、ミュージシャンとのセッションなど多岐にわたる。
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アーティスト:三
「三」とは、大倉佑亮、森 ナナ、石川竜一の3人で構成されるコレクティブ。京都、福岡、沖縄という異なる場所を拠点にしながら、コレクティブ・ワークとしては、ある有限性の中で共同生活=住むことを通し、食事、身体、性、家族、労働、倫理など、それぞれが生活の中で「当たり前」と判断してしまう価値基準を3人で議論し、包括的に検討しながら、個別の生活/制作=ライフ/ワークが、共同性を帯びる時空間を模索する。過去の3人でトーク記録はコチラ

大倉 佑亮
1988年 兵庫県生まれ、京都市在住。京都大学総合人間学部
創造行為論専修 卒業。
概念の二項対立を調停する哲学として仏教に注目し、太極拳を身体を通して学ぶ。現在、国内の国際芸術祭のキュレーション、京都芸術大学 美術工芸学科 非常勤講師を務める。
キュラトリアル・プラクティスとして、「絶景の瞬間」The 5th Floor(東京 2021年)、「瞬間」PURPLE(京都 2022年)、「森石川山水図」空蓮房(東京 2022年)がある。
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瞬間社/ Instagram
概念の二項対立を調停する哲学として仏教に注目し、太極拳を身体を通して学ぶ。現在、国内の国際芸術祭のキュレーション、京都芸術大学 美術工芸学科 非常勤講師を務める。
キュラトリアル・プラクティスとして、「絶景の瞬間」The 5th Floor(東京 2021年)、「瞬間」PURPLE(京都 2022年)、「森石川山水図」空蓮房(東京 2022年)がある。
瞬間社/ Instagram

森 ナナ
1990年 福岡県生まれ。書家の家庭に生まれ、幼少期より書に親しむ。 東京藝術大学大学院美術研究科 先端芸術表現専攻 修了。書くことにおける一回性を厳守し、書く/書かないことの両義性を内包する、文字の始原的な力を宿す作品を制作している。展に、「Nucleus」KANAKAWANISHI GALLERY(東京 2018年)、「瞬間」PURPLE(京都 2022年)。参加した展覧会に、「美大生展」SEZON ART GALLERY(東京 2016年)、石川竜一+森 ナナ展「絶景の瞬間」The 5th Floor(東京 2021年)、「森石川山水図」空蓮房(東京 2022年)、「瀬戸内国際芸術祭」粟島(香川 2022年)など。
石川 竜一
1984年沖縄県生まれ、沖縄国際大学社会文化学科 卒業。在学中に写真と出会う。 2014年に沖縄の人々や身近な環境で撮影したスナップを纏めた『okinawan portraits 2010-2012』『絶景のポリフォニー』を発表し、木村伊兵衛賞、日本写真協会新人賞、沖縄タイムス芸術選奨奨励賞を受賞。日常のスナップやポートレイトを中心に現代の矛盾と混沌に向き合いつつも、そこから光を探るような作品を発表し、活動の場を日本国内外に広げ、その内容もビデオ作品や他ジャンルのアーティストとの共作、ミュージシャンとのセッションなど多岐にわたる。
絶景社/Instagram